2010年11月29日月曜日

六ペニー文明

エレイソン・コメンツ 第176回 (2010年11月27日)

フランスの画家ポール・ゴーギャン “Paul Gauguin” (1848年-1903年)の人生を題材として,映画,テレビドラマシリーズ,オペラのほか少なくとも二つの小説が生まれています.彼の人生が現代人に何かを訴えているに違いありません.株式仲買人をしながら妻と五人の子供たちを養っていたゴーギャンが,革命的芸術家になろうとすべての生活を投げ出して遠く離れた南太平洋の島へ移り住み,西洋文明をすべて拒絶しました.だがゴーギャンの安らぎのない最期は,多くの人々の心(魂)がそこで夢見た解決策を彼が見出せなかったことを暗示しているのではないでしょうか?

ゴーギャンの人生を描いた一篇の小説が彼の死後16年を経て,20世紀前半の有名な英国の作家ウィリアム・サマセット・モーム “W. Somerset Maugham” によって書かれました.モームは「月と六ペンス」 "The Moon and Sixpence" を書く題材を自らの手で収集するため南太平洋を訪れました.ゴーギャンを基にしたこの短編小説の表題は奇妙に思えるかもしれませんが,実際は問題の核心をついています.この短編小説出版に先立つ1915年に,大筋ではモームの自伝小説である名作「人間の絆」 "Of Human Bondage" が世に出ていました.ある評論家がこの本の主人公のことを,「月への渇望が強すぎるあまり自分の足下にある六ペンス(当時の英国の銀色の少額硬貨)が決して目に入らない」と酷評しました.言い換えれば,モームは達成不可能な理想を切望するあまりに,すぐ手の届く所にある小さくても現実的な幸福を逃しているというわけです.モームはすぐさま「もしあなたが地面の六ペンスばかりを見つめていたら,上を見ないで月を見逃してしまうことになります」と反論しました.言い換えれば,人生にはより高邁(こうまい)なものが存在するのだということです.

この月と六ペンスの対照を小説の表題に用いたことはモームがゴーギャンのことをどう思っていたかを明瞭に示しています.中流階級の株式仲買人兼家族の父親としてのありふれた幸福が六ペンスです.その幸福な生活をすべて投げ出し一芸術家となったことが月です.さて誰もここでモームが生活や家族を投げ捨てることを大目に見ているのだと考えてはなりません.モームは小説の中でのゴーギャン像たる芸術家ストリックランド “the artist Strickland” を,恐ろしく身勝手で冷酷無慈悲な人物として描いています.だが同時にモームは,彼を天才であり,六ペンスの幸福の中の自身と周りの人々にとって犠牲がいかに大きかろうと芸術家としての天職を求めたのは基本的に正しかったとも描いています.

言い換えれば,今日の西洋文明における大半の人々の人生は六ペニーの価値しかない人生だとモームは言っています.だが生命そのものは六ペンスよりはるかに価値のあるものです.人間が地上で生かされる短い一生の間,そこにはもっと価値の高い何かが存在しており,人がそれを求めて必要とあればかなり多くの六ペニー硬貨を泥沼(どろぬま)に踏みつけるとしてもその人は基本的に正しいのです.(訳注・「六ペニー」=原語 “sixpenny”.「安い,取るに足らない,無価値な」の意味もある.)

実生活ではゴーギャンは少なくとも死後に有名で満ち足りた芸術家として知られるようになりましたが,人間的には情緒不安定で反抗的なまま死去しました.モームはゴーギャンの立証された天才と挫折した人間性の双方を再現しています.だがモームはゴーギャンの未解決の問題を解決したのでしょうか?どうすれば天才と生活とが互いに対立しながらも共に人間的たりうるのでしょうか?これは誰にとっても存在する根深い問題のようです.果たして解決策はあるのでしょうか?来週の「エレイソン・コメンツ」をご覧下さい.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教

2010年11月21日日曜日

絶望的な逃避

エレイソン・コメンツ 第175回 (2010年11月20日)

現在ロンドンのテイト・モダン “Tate Modern” (近代(現代)美術館)で,もう一人の偉大な近代芸術家である - それともそう書くと言葉の矛盾になるでしょうか? - フランス人画家ポール・ゴーギャン “Paul Gauguin” (1848年生-1903年没)の展覧会が開かれています.人間はみな人生とは何かについてのビジョンを必要とするように人生についての絵を必要とします.今日では電子技術が大半の絵を提供してくれますが,ゴーギャンの時代には画家たちがまだ絶大な影響力を持っていました.

1848年,パリに生れたゴーギャンは,あちこち旅をし職業を転々とした後,23歳で株式仲買人になりました.その2年後にデンマーク人の女性と結婚し,10年間で5人の子供に恵まれました.この時期は彼にとって絵を画くことは画才を楽しむ単なる趣味に過ぎませんでした.しかし1884年にデンマークの首都コペンハーゲンで事業を始める試みが失敗に終わると翌年,彼はまだ若い家族を捨て専業芸術家になろうとパリに戻りました.

1888年,彼はヴァン・ゴッホ “Van Gogh” と共に絵を画くため9週間をアルル “Arles” で過ごしましたが,この試みは惨憺(さんたん)たる結果に終わりました.彼はパリに戻りましたが,生活に十分な稼ぎもなくまだ画家としても評価されていなかったので,1891年に熱帯地域へ向けて船出(ふなで)しました.それは「うわべだけで型にはまったものすべてから逃れるため」でした.彼は,一度だけパリに帰りしばらく滞在しましたが,それ以外は当時フランス領ポリネシアの植民地だった南太平洋のタヒチ島とマルキーズ諸島 “Tahiti and the Marquesas Islands” で余生を過ごしました.彼はそこで後に名声を得た絵の大半を生み出したのですが,依然としてカトリック教会や国家と戦い続けていました.彼が3か月の禁固刑を受けながら服役をまぬかれたのは,ひとえに1903年に死去したためでした.

ヴァン・ゴッホ同様,ゴーギャンも19世紀後期特有の重苦しい従来型の美術様式で絵を画き始めました.だが,ほぼ同時期のヴァン・ゴッホがそうであったように,ゴーギャンの絵の色彩(しきさい)はずっと明るくなり,様式も従来型からかなりはずれていきました.事実,ゴーギャンは美術における原始主義運動 “the Primitivist movement in art” の創始者であり,彼の死後まもなく,才気あふれながらも反体制精神旺盛(おうせい)だったピカソ “Picasso” にかなり大きな影響を与えました.原始主義は,欧州文明がまるで燃え尽きてしまったかのように思われたため原始的な根源に回帰しようとしたことを意味しました.芸術家たちがアフリカやアジアに目を向けたのはそのためです.顕著(けんちょ)な例がピカソの描いた「アヴィニョンの娘たち」 “Les Demoiselles d’Avignon” です.同じ流れの中で,ゴーギャンは1891年にポリネシアに向け飛び立ち,そこでカトリック宣教師たちが島々へ侵入してきたことを苦々(にがにが)しく感じ,カトリック布教以前の現地の神話に出てくる多神教の神々について学び,それを自分の絵に取り入れました.その中には疑似(ぎじ)悪魔的な人物像が何点か含まれています.

ゴーギャンがタヒチで描いた絵はどれも疑いなく彼の最高傑作ですが,はたしてその作品のビジョンは自らが突っぱね,捨て去った退廃(たいはい)的な西洋文明社会の諸問題に対する実行可能な解決策となっているでしょうか?そうとも思えません.テート・モダンの展覧会で展示中の絵はいずれも原画で色彩豊かですが,描かれたタヒチの人々は,ほとんどが若い女性で,どことなく無気力でさえない印象です.ゴーギャンにとってタヒチは逃避先とはなり得ても希望の地ではありません.退廃的な西洋社会についての彼の見方は正しかったかもしれませんが,彼がポリネシア芸術の中で描き出した地上の楽園は彼に安らぎを与えることはありませんでした.そして,彼は反逆精神を抱いたまま死にました.そこには彼がまだ解決していない問題がいくつか残されているのです.

興味深いのは,著名な20世紀の英国人作家サマセット・モーム “Somerset Maugham” が書いたゴーギャンの人生のフィクション版です.来週の「エレイソン・コメンツ」をご覧下さい.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教

2010年11月15日月曜日

もっと努力を!

エレイソン・コメンツ 第174回 (2010年11月13日)

もう50年以上も交友しているある非カトリックの友人が最近,「あなたの確信に満ちた姿勢(信仰心)“certainty” がつくづくうらやましいと思いますよ!」と私に言いました.私はその言葉から,彼はカトリック信者たちの信じているものを自分も信じることができたらと願いながらそうできないように感じている,という意味に受け取りました.それで私は,「信じられるようになるまでもっと努力してみてください!」 “Try harder!” と答えたい気にかられましたが,その場は沈黙を守りました.

確かに,人が何かを信じるのは心で信じるのであり意志で信じるものではありません.それでもなお,本質的に人心が自然に及ぶ範囲をはるかに超えたカトリック信仰の説く超自然的な諸々の真理を人が心で信じようとするときには,意志による後押しがどうしても必要となります.したがって,超自然的なもの(神の神秘)への信仰は意志による行為でないにしても,意志の働きなしには成り立ちません.「自分の意志に反して信じる者は誰もいない」と聖アウグスティヌスは言っています.だからこそ,心で信じない人に対し自分の意志で「もっと努力してみるように」とアドバイスすることは,不合理に思われるかもしれませんが実際はそれほど不合理なことではないのです.また,意志が向おうとする信仰が客観的に本物である場合は,そうしたアドバイスが希望的観測に終わることもありません.

それでも,もしある人がカトリック信者たちの持つ確信を本気でうらやましく思うなら,彼は先ず第一にカトリック信仰がどれほど合理的で筋の通った教えであるかを学ぶことに専心すべきです.その信仰は人の理性を超えたものかもしれませんが,それに反するものではありません.どうしてそのようなことがあり得ましょうか?私たちの理性の創造主たる神が,理性に対してその理性を嘲(あざけ)るような真実を信じるよう命ぜられることがあるでしょうか?そんなことをすれば神は自己矛盾に陥(おちい)ってしまいます.聖トマス・アクィナス “St Thomas Aquinas” はその著書「神学大全」“Summa Theologiae” で,信仰と理性は全く異なるものでありながらも,いかに完璧に調和しあうものであるかを一貫して示しています.

ですから,人間の理性にできること,私の友人がすべきことは,例えば神の存在,人間イエズス・キリストの神性,そしてキリストによる神授のローマ・カトリック教会の設立について証明する完全に合理的な論拠(ろんきょ)を学ぶことで超自然的なカトリック信仰への自然な入り口を築(きず)くことです.そうした諸々(もろもろ)の論拠はすべて,意志の力が自然理性に逆(さから)わない限り,十分に自然理性の理解できる範囲内にあります.誤(あやま)って作動した心は自然理性の面前(めんぜん)にある真理を決して認識することはありません.意志は現実を求めねばなりません.さもないと心が真理を見出(みいだ)すことは決してありません.私たち人間にとっての真理とは私たちの心と現実が適合(てきごう)するかどうかにかかっているからです.

ある人がカトリック信仰の合理性を理解するため,正しい理性と真直ぐな意志で出来るだけのことを一度やってみたが神の賜物(恵み)である超自然的な信仰を得ることができないでいるとします.だが,神が私たちに信じるよう求めておきながら(そうしないと地獄に落とすという条件を付けて-新約聖書・マルコによる福音書:第16章16節を参照)(訳注後記),自身の持ちそなえた自然能力の及ぶ限りの努力を尽くし - 神を欺かず - 信仰の賜物に与(あずか)る準備をする私たちのうちの一人の霊魂に対してすら,その賜物をお与えになるのを拒むことがあるでしょうか? とりわけ,当たり前のことですが,私ができる限りのことを尽くした後で,謙遜な(へりくだった,慎ましい)心で神に祈り信仰の賜物を与えて下さるよう願い求めたとしたらどうでしょうか? 神は高慢な者を認めようとしませんが,謙虚な者には恵みをお与えになります(ヤコボの手紙第4章6節).そして神は真直ぐな心で神を求める人々に対し御自身を現されます(訳注・「心の真直ぐな人は神を見出す」の意)(「第二法の書」第4章29節;「エレミアの書」第29章13節;「(預言者エレミアの)哀歌」第3章25節;その他にも旧約聖書の多くの箇所から引用できます).(訳注後記)

親愛なる友人よ,(訳注・神の御言葉-「聖書」を)読みかつ問うてみてください.努力に応じてあなたはきっとその確信(信仰)を自分のものとすることができるでしょう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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(第5パラグラフの訳注)
引用されている聖書の御言葉(バルバロ神父訳聖書)

(新約聖書)
・マルコによる福音書:第16章16節
信じて洗礼を受ける者は救われ,信じない者は滅ぼされる.

・ヤコボの手紙:第4章6節
神はおごる者に逆らい,へりくだる者に恵まれる.

(旧約聖書)
・第二法の書:第4章29節
(不信仰のため神の怒りを買って他国に散らされることになるイスラエルの民に対する神の御言葉)
「(その国々の人間の手によってつくられた神々,見ることも聞くことも食べることもかぐこともしない木や石の神々に,おまえたち(イスラエルの民)は仕えることになる.)そこからでも神なる主を探し求め,心と魂を尽くして求めるなら必ず主を見いだす.

・(預言者)エレミアの書:第29章13節
私(神)をさがし求めれば,見いだす.心をあげて,私をさがし求めるなら.(私は姿を現し・・・)」

・(預言者エレミアの)哀歌:第3章25節
主(神)は希望するものに,さがし求める魂に,恵まれる.

2010年11月8日月曜日

40周年

エレイソン・コメンツ 第173回 (2010年11月6日)

先週月曜日は,大いに感謝に満たされた節目の日であると同時にいくぶん不安の残る日でした.その日(2010年11月1日)は聖ピオ十世会が創立されてから40周年を迎えた日で,40年前(1970年)の同日ジュネーブ,ローザンヌおよびフリブール(Geneva, Lausanne and Fribourg)のシャリエール司教( “Bishop Charriere” )が,ルフェーブル大司教がその数か月前に提出していた聖ピオ十世会の規則を普遍教会 (訳注・原文 “Universal Church” =カトリック教会)に代わって公認した日でした.

今日のたがの緩(ゆる)んだ世界的な背教の真っ只中(まっただなか)でカトリック信仰を持ち続け,その信仰によって生きようと真剣に努力している誰にとっても,この日が感謝すべき機会であることは明らかです.第二バチカン公会議いらい公式のカトリック教会は崩壊状態にあり,その状態は今も依然として続いています.なぜなら,指導的な立場にある聖職者たちが,神のいるべき場所に神ではなく人間を置く同公会議の諸々の目新しい物事に固執し続けているからです.したがってカトリック世界の人々はいまだに間違った方向に導かれ続けており,神のお建てになったカトリック教会のピラミッド構造は上から下まで完全に崩れかけています.

それ故に,敬虔(けいけん)ながらもピラミッド構造型の精神を持ち合わせた一聖職者(訳注・ルフェーブル大司教のこと)が,崩壊に向け転落していく主流ピラミッドの内部に,非主流である反ピラミッド構造を築く必要があると考えたことは最初の奇跡でした.彼がローマ教皇制度の権威の影響下で崩壊しつつある主流ピラミッドの下に非主流のピラミッドを構築するのに成功したのが第二の奇跡でした.そしてさらに,大司教の死後20年近くもの間,彼の後継者たち(訳注・聖ピオ十世会の会員たち)が非主流のピラミッドを守り続けてきたことが第三の奇跡です.現在,聖ピオ十世会はカトリック信仰の擁護(ようご)について独占的に振る舞ってはいません - そのようなことは神がお許しになりません! - だが聖ピオ十世会は今日に至るまで長年カトリック信仰擁護の中心となってきました.私たちは,聖ピオ十世会が(その創立いらい今日に至るまでの40年間にわたり)いかに素晴らしい神の賜物であったかを,私たち一人ひとりに理解させて下さる神の善良さに対し,限りない感謝の気持ちでいっぱいです.

だが私たちは同時に用心しなければなりません.バリエル神父(1897年-1983年)( “Father Barrielle” )は,スイス・エコン( “Econe in Switzerland” )にある聖ピオ十世会の最初の神学校で草創期からの霊的指導者でした.私は,バリエル神父が敬愛する師であり聖イグナチオの霊躁( “Spiritual Exercises of St Ignatius” )の偉大な指導者であったヴァレ神父(1883年-1947年)( “Father Vallet” )の言葉を事あるごとに引用していたのを今でも思い出すことができます.ヴァレ神父の作った(訳注・聖イグナチオによる30日間の)「霊躁」の5日間の凝縮形(ぎょうしゅくけい)は - バリエル神父が聖ピオ十世会の神学生たちへ伝達したことにより - 今日に至るまで世界中の聖ピオ十世会の信奉者たちにとり非常に有意義なものとなっています(訳注後記).ヴァレ神父はこの霊躁とその歴史を深く研究し,ひとつの事に気づきました.それは,いかなる修道会が霊躁を説くために設立され,うまくいったとしても,ある一定期間経つと悪魔がその修道会を横道へそらせ,注意散漫(さんまん)にさせ,破壊させてしまうということでした.バリエル神父が引用したヴァレ神父の言によると,その一定期間とはいったいどれほどの期間だったのでしょうか? なんと,それは40年間だったのです!

現在では,この霊躁を説くだけが聖ピオ十世会の唯一の使徒職(訳注後記)というわけではありません.それだから,聖ピオ十世会は悪魔の集中的な注目から逃れることができるでしょうか?(決してそんなことはなく,それどころか)むしろその逆です!たとえその(聖ピオ十世会の)非主流ピラミッドが依然として,いたるところで崩れかけているカトリック教会の残骸(ざんがい)の中でカトリック信仰擁護の中心でい続けているとしても,(それは相も変わらず)悪魔の超集中的な注視対象( “super-concentrated attention” )となり得るばかりなのです!私たちはみなそのことをわきまえて注意しましょう.とりわけ - カトリシズムのピラミッド構造によって - ピラミッドの頂点にいる人たちは注意しなければなりません.そして,私たちはその人たちのことを心に覚えて静かに祈り続けましょう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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(第4パラグラフの訳注)

・バリエル神父=“Father Barrielle (Le Père Ludovic-Marie Barrielle) ”.
フランス・マルセイユ出身のカトリック司祭.

・ヴァレ神父=“Father Vallet (Le Père François de Paule Vallet )”.
北スペイン(バルセロナ)出身のカトリック司祭.スペイン・フランスで活動した.聖イグナチオの30日間の霊躁を,近代人がその本質要素の結実を損なうことなく5日間で行うことができる形式に凝縮した.


(第5パラグラフの訳注)

「使徒職」“apostolate” について.

・「使徒的活動」,「宣教活動」,「使徒的使命」などの意味合い.
原英語 “apostolate”.カトリック教会用語.キリストの12使徒の(使徒聖ペトロを中心とした)地位,その職・活動に由来する.→「使徒」= “Apostle”.

・“apostolate” は,(キリスト御自身が建てられた教会の首長として直接キリストに任命された)使徒聖ペトロの後継者であるローマ教皇〔司教〕職またその権威・地位を意味する.
その位の名称を「聖ペトロの使徒座」“Apostolic See” =「聖座」“Holy See” と呼ぶ.

・ここ(EC173第5パラグラフ)では「病院(看護)・学校(教育)などの形をとり,ある一定の使徒的(=福音宣教上の)目的のため信徒会・修道会などが団体単位で組織的に行う活動」という意味で使われている.

・一信徒が個人単位でイエズス・キリストの福音の宣教のため献身し,全生活を尽し使徒的活動に専念・従事して働く場合も「使徒職」の意味に含まれる.

2010年11月1日月曜日

糾弾を先延ばしにすべきか?

エレイソン・コメンツ 第172回 (2010年10月30日)

教義の重要性を強調したここ数回分の「エレイソン・コメンツ」(EC 162, 165-167, 169)を受け,ある読者が,教義の重要性は分かるが,第二バチカン公会議を糾弾(きゅうだん)するのは先延ばしにする方が賢明ではないだろうか,と聞いてきました.この読者の根拠は,ローマ(教皇庁)のカトリック教会当局者たち,一般のカトリック信者たちのいずれもが,公会議のことを教理上ルフェーブル大司教に従う聖ピオ十世会が言うほど悪いと受けとめる心構えが出来ていないからというものです.だが現実には,同公会議ははるかに悪いのです.

第二バチカン公会議の諸々の公文書(訳注・原語 “the documents of Vatican II”.以下,「諸文書」)に関する教理上の問題は,主として,それが公然かつ疑いもないほど明瞭に異端的であるという点にあるのではありません.事実,それらの文書で使われている「文言」は,その「精神」とは逆に,一見してカトリック教に則しているように見えます.同公会議の四回の会合すべてに直接参加したルフェーブル大司教が,諸文書のうち最悪だった最後の2点「 現代世界憲章」“Gaudium et Spes” と「信教の自由に関する宣言」“Dignitatis Humanae” を除く全ての文書に署名し承諾してしまったほどです.だが,その「文言」は,公会議主義の神父たちが傾倒していた新しい人間中心の宗教の「精神」によって微妙に汚染されており,それによって当時から今日に至るまでカトリック教会を堕落させ続けているのです.もし,ルフェーブル大司教がこれら当時の16点の文書について今日再び投票をすることができたら,今となっては後の祭りですが,そのうちの1点の文書にさえ賛成票を投じたかどうか疑いたくなるほどです.

第二バチカン公会議の諸文書は曖昧(あいまい)で,外見上,大部分はカトリック教的と解釈できますが,中身は近代主義 “modernism” の毒で汚染されており,カトリック教会内のあらゆる異端の中でも最も致命的な悪影響を及ぼすものであると,教皇聖ピオ十世が回勅「パッシェンディ」 “Pascendi” の中で指摘しています.例えば「保守的な」カトリック信者たちが,カトリック教会への忠実心から同公会議の諸文書を擁護(ようご)しようとするとき,彼らはいったい何を保守しようとしているのでしょうか?それら諸文書が持つ毒,そして何百万人にも及ぶ無数の人々の霊魂のカトリック信仰を堕落させ永遠の地獄へ至る破滅の道に導き続けるその毒が持つ力を保守しようというのでしょうか.このことはまさしく,私に第二次世界大戦中の連合諸国に必需品を届けるため大西洋を横断した連合船団を思い起こさせます.ドイツ軍の潜水艦が一隻(いっせき),船団の防御水域の真っただ中に浮上することに成功し,船を手当たり次第に魚雷で撃沈したのです.船団の護衛にあたった連合軍の駆逐艦(くちくかん)は防御水域の外側で潜水艦を追尾していて,よもや潜水艦が自分たちのど真ん中にいるとは想像もしなかったからです!悪魔は第二バチカン公会議の諸文書の真ん中にいて,何百万もの人々の霊魂の永遠の救いを魚雷攻撃しています.なぜなら悪魔はそれら諸文書の中で実に巧みに変装しているからです.

さて,その船団の中の商船の一隻に目敏(めざと)い水夫が一人乗っていて,潜水艦の吸排気装置(シュノーケル)が残すかすかな航跡に気づいたと想像してください.彼は「潜水艦が内側にいるぞ!」と叫びますが,誰一人本気にしません.その水夫はそのまま待機して黙っているでしょうか?それとも「やられるぞ!」と声を張り上げ,船長が致命的な危機を認めるまで叫び続けるでしょうか?

聖ピオ十世会は第二バチカン公会議について警告の叫びを止むことなく上げ続けねばなりません.なぜなら,何百万もの人々の霊魂が致命的かつ絶え間のない危機にさらされているからです.その危機がいかに重大かを認識するには,理論的には難解だと認めざるを得ませんが,アルバロ・カルデロン神父 “Fr. Alvaro Calderon” の第二バチカン公会議の諸文書についての深遠な著書 “Prometeo: la Religion del Hombre” (訳注・「プロメテウス:人間の宗教」の意)を原著か自国語の翻訳でぜひ読んでみてください.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教