2010年10月26日火曜日

心の内なる洞窟

エレイソン・コメンツ 第171回 (2010年10月23日)

スビアコ訪問は私に,カトリック教会における偉大な修道会の創始者四人を相次いで位置づける2行のラテン語の詩を思い起こさせてくれました.その二行詩は教会史の4分の3を俯瞰(ふかん)するものですが,それに加えなぜこれほど多くのカトリック信者たちが今日カトリック信仰にほんの指先だけでしがみついている状態なのかについても暗示しています.

その二行詩とは次の通りです.

Bernardus valles, colles Benedictus amabat,
Oppida Franciscus, magnas Ignatius urbes.

意訳すると、以下のようになります.

ベルナルドは谷間を愛し,ベネディクトは丘に出向いた.
フランチェスコは町へ出て活動し,イグナチオは都会へ出向いて活動した.

Bernard loved valleys, Benedict took to the hills.
Francis worked towns, cities Ignatius tills.

年代順に(ラテン語の6歩格によるため少し順序が逆になるかもしれません),聖ベネディクト(480年-547年)は山中(スビアコ,モンテ・カッシーノ “Monte Cassino” =カッシーノ山)に神を求め,聖ベルナルド(1090年-1153年)により活気づいたシトー修道会は谷間に降りてきました(とりわけクレルボー “Clairvaux” にです).聖フランチェスコ(1181年-1226年)は当時の小さな町々を転々と歩き回り,イエズス会の聖イグナチオ(1491年-1556年)は近代都市の使徒団を指導しました.イエズス会がドミニコ会とともに第二バチカン公会議の崩壊を主導したとき(たとえば,イエズス会士のドゥリュバック,ラーナーおよびドミニコ会士のコンガル,スヒレベークス),近代都市が復讐を果たしたと言えるかもしれません.(訳注後記)

なぜなら,丘陵地から都市への進行は,独り神と向かい合うことから人と向かい合うことへの進行ではないのでしょうか?産業主義と自動車は近代都市における快適な生活を可能にしましたが,その過程で着実に,より人為的でますます神の自然界から切り離された日常生活環境を生み出しています.物質的な快適さが精神的な困難さを増大させているのです.事実,大都市生活はますます人間味を失い,リベラルな死の願望は間もなく第三次世界大戦を招いて,今日私たちが知る都市生活と郊外の生活を壊滅状態に陥れてしまうでしょう.そうなったとき,様々な理由で丘陵地へ逃れることができないカトリック信者は,精神病院に入らず済ますにはどうしたらよいのでしょうか?

一つの答えは理に適(かな)ったものです.彼は自らの心の中の洞窟に籠(こも)り,周囲で慌ただしく動き回る世間を離れて独り神と共に生きるべきです.彼は,自分の心を隠遁(いんとん)生活の場に移し,できれば少なくとも自分の家を,家庭が自然に必要とするあらゆるものを尊重しながらも,ちょっとした避難場所( “something of a sanctuary” ) のようなものに変えるべきです.このことは,非現実的な自分だけの世界に生きることを意味するものではありません.四囲からの圧迫がある中で,心の外にある悪魔の幻想的な世界に生きるのではなく,心の内にある神の現実的な世界に生きるということを意味するものです.

同じように,(第二バチカン公会議指揮下の)新教会は第二バチカン公会議いらい,無数の男子修道院や女子修道院を閉鎖してきました.第二バチカン公会議は,神からの心の内への呼びかけを聞いていると思っているかもしれない人々にさえ神と向き合う機会を与えず閉ざしたままです.神は人々を袋小路に追い詰めたのでしょうか,それとも見捨てたのでしょうか?それとも神はもしかして,大都市にある彼らの小さなアパートを隠遁生活の場に変え,神のない事務所を使徒たちの活動場に変えて,祈りや愛徳とその模範という手段を用いることによって,彼らがそこで心の内なる信仰生活を送るよう呼びかけているのでしょうか?私たちの世界は,神への信頼により持てる心の中の平和と落ち着きを外部へあふれ出させ周囲を安らぎで満たすようなカトリック信者たちを深刻なまでに必要としているのです.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

(第2パラグラフ最後の訳注)

(訳注1・第二バチカン公会議を主導した神学者たち)
イエズス会所属の
・ドゥ・リュバック “Henri de Lubac, S. J.” (フランス人枢機卿・神学者)および
・ラーナー “Karl Rahner, S. J.” (ドイツ人司祭,神学者).
ドミニコ会所属の
・コンガル “Yves Marie Joseph Congar, O. P.” (フランス人司祭,神学者.後に枢機卿となる)および
・スヒレベークス“Edward Schillebeeckx, O. P.”(ベルギー人司祭,神学者).

(訳注2・修道会の略号について)
“S. J.” … Societas Iesu = Society of Jesus=イエズス会の略号.
“O. P.” … Ordo (Fratrum) Prædicatorum = Order of Preachers=ドミニコ会の略号.
所属修道会の略号を,各会員の氏名の後につけることになっている.

2010年10月18日月曜日

祝福された洞窟

エレイソン・コメンツ 第170回 (2010年10月16日)

神の慈愛( “grace” 「恩寵(おんちょう),恩恵」)を人間性( “nature” )から切り離して区別してしまうことはなんと不条理なことでしょうか!この二つは互いのために作られているのです!(訳注・原文 “The two are made for one another!” 「恩寵と人間性とは親密な関係にある」.)恩寵について,それがあたかも人間性そのものに戦いをいどむものであるかのように考えることは,それにもましてなんと不条理なことでしょうか!恩寵は,私たちの堕落した人間性( “fallen nature” )について,その堕落の状態そのもの( “fallen-ness” 「堕落状態」)(訳注・「原罪」あるいは「原罪をもっている状態」を指す.初めの人アダムとエワが神に背いて堕落したことにより,それ以後に生まれたすべての人間は生来(=生まれつき,生まれながらに)「原罪」をもつ運命に陥った.)と戦うことはあっても,その堕落状態の根底にある( “underlies that fallen-ness” ),神に由来する人間性と戦うものではありません.それとは逆に,恩寵は,かかる堕落状態の根底にある人間性を,その原罪による生来の堕落状態と(生れた後で犯す)罪の汚れから救って( “…to heal that underlying nature from its fallen-ness and falls,” )神の高みにまで引き上げ,神の本質にあずからせるために存在するのです(使徒ペトロの第二の手紙・第1章4節を参照.)(訳注・バルバロ神父訳による新約聖書の該当箇所…「(キリストの神としての力は…命と敬虔を助けるすべてのものをくださり,)またそれによって私たちに尊い偉大な約束を与えられた.それは,欲情が世の中に生んだ腐敗からあなたたちを救い上げ,神の本性にあずからせるためであった.」).

さて,恩寵なしの人間性は革命に通じ得ますが,人間性を軽視した恩寵は,たとえば同様に革命に通じるジャンセニズム “Jansenism” (訳注後記・1)のように誤った「霊性(精神性)」につながります.この誤ったプロテスタント化の過ちの重大性は,恩寵を,罪の代わりに人間性と対立するものとして配置しているところにあります.私は七日間のイタリア旅行で四つの山岳域を訪れ,神に近づくため自然界に逃れた(原文 “fled…in Nature” )四人の偉大な中世の聖人たちのことを思い出していました.彼らについては四人とも聖務日課書とミサ典書の中に記されています.それらの四人の聖人とは,年代順に挙げると,聖ベネディクト “St. Benedict” (祝日3月21日,聖地:スビアコ “Subiaco” ),聖ロムアルド “St. Romuald” (祝日2月7日,聖地:カマルドリ “Camaldoli” ),聖ヨハネ・グアルベルト “St. John Gualbert” (祝日7月12日,聖地:ヴァッロンブローザ “Vallumbrosa” ),そしてアッシジの聖フランチェスコ “St. Francis of Assisi” (祝日10月4日,聖地:ラ・ヴェルナ “la Verna” )です.

カマルドリとヴァッロンブローザは,フィレンツェ “Florence (Firenze) ” を囲む丘陵地帯の高地にある地域の地名で,11世紀にそれらの地からそれぞれの地名をとった二つの修道会が起こりました.トスカーナ州のアペニン山脈 “Tuscan Apennines” の高地の山奥にあるラ・ヴェルナは,聖フランチェスコが1224年に聖痕(訳注後記・2)を受けた場所です.これらの三つの場所へはすべて,現在ではバスか自動車で比較的容易にたどり着くことができますが,今でも依然として山深い森林地に取り囲まれており標高も十分に高いので,冬季にはきっと身を切るような厳しい寒さで凍えてしまうことでしょう.この地がこれらの聖人たちが,比較的小さい町々においてさえ十分に狂気に浸りきった俗世間(浮世の人々)と一体となっていた,その当時の町々を遠く離れ,神と心を通い合わせ親しく語り合うため出かけて行った場所なのです.

多分,私が最も感銘を受けた場所は,ローマから車で一時間ほど東に向かったスビアコでした.そこは聖ベネディクトが若い頃,山腹の洞窟(どうくつ)で三年間を過ごしたところです.紀元580年に生れ,若い学生だったとき,彼は崩壊したローマ帝国を脱出しその丘陵へと逃れたのです.その時彼は20才,あるいは人によっては14才だったと言う人もいます! - もしそうだとしたら,なんというティーンエイジャー(十代)でしょうか!紀元1200年頃から,その場所の周囲の山腹に本格的な男子修道会が形成され始め,スビアコはこの若い男性によって神聖な場所となったのですが,神を探し求めた彼がそこで何を見出したのか,誰でも(その場所を訪れてみれば)今もなお想像することができるでしょう.見上げれば上には雲々と空があり,はるか下方の渓谷(けいこく)では急流が音を立ててほとばしり,向こう側の山の斜面には荒れた森林のほか何もなく,道連れ(みちづれ)はただ切り立った断崖(だんがい)を行き来する鳥たちだけで,ただ独りで自然界とともに・・・神の自然界と・・・ただ独りで神と向き合えるのです!

三年間,ただ独り神と向き合う・・・その三年間は一人の若いカトリック信者に,(創造主たる神が創造された)自然の中で自分の霊魂をキリストと共有することを可能にしたのです.そして彼の著(あらわ)した有名なベネディクトの戒律が,崩壊したローマ帝国を高邁(こうまい)なキリスト教世界へと新しく形を変えたのです.その世界はいまや「西洋文明」として崩壊しつつあります.キリストと共に自らの人間性を取り戻すことで己の霊魂を取り戻し,そうしてキリスト教世界を救済し得る若いカトリック信者たちは今日どこにいるのでしょうか?

神の御母よ,若者たちに霊感を与え給え!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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(第2パラグラフの訳注・1)

“Jansenism” 「ジャンセニズム」 (「ヤンセニズム」「ヤンセン主義」ともいう.仏語で “Jansénisme” 「ジャンセニスム」.)について.

1640年に,オランダのローマカトリック司教で神学者コルネリス・ヤンセン “Cornelis Jansen” (1585-1638) が著した大書「アウグスティヌス」が出版された(彼の死後,遺作として).17-18世紀に,その著書の中の「恩恵論」を巡りフランスを中心として欧州各地のカトリック教会で宗教論争・運動が展開された.ジャンセン主義者たちは当時のイエズス会,フランス王権,ローマ教皇と激しく対立した.拠点となったポール・ロワイヤル(Port-Royal. シトー会)女子修道院の破壊(1711年)やイエズス会の一時解散(1773年)など,長年にわたる争いの激化で信徒たちを混乱させ,ローマ教皇による弾圧や断罪が続く中で,争いは教会内にとどまらず政治の世界にまで大きな影響を及ぼしたため,後にローマ教皇により禁圧された.厳格な考え方が特徴.人間の原罪の重さと,それに対する恩寵の必要性を過度に強調し,人間性や人間の意思を軽視した.

* * *

(第3パラグラフの訳注・2)

“…St Francis received the stigmata in 1224.”の “stigmata” 「聖痕」について.

「聖痕」(せいこん)…キリストの受難の傷痕を身体に受けること.アッシジの聖フランチェスコ(1181-1226)はキリストと同じ五つの傷痕(手足と脇腹)を受けたことが伝えられている.身体の外部に現れず,内的な苦痛の場合もある.

2010年10月12日火曜日

教理は不可欠

エレイソン・コメンツ 第169回 (2010年10月9日)

1986年イタリアのアッシジで開催された諸宗教同士のうわべだけの和合(訳注・原英文 “the all-religion love-fest at Assisi”.1986年に前教皇ヨハネ・パウロ二世が,世界の諸宗教の指導者たちを呼び集めて開催した世界平和を祈る合同祈祷集会のこと)が測り知れないほどの悪影響を及ぼしたことを認識しているカトリック伝統派の信徒たちがいかに少ないかについてルフェーブル大司教が驚いていたのを私は覚えています.だが,これが私たちの生きている現代社会の堕落の度合いを示すものです.今日,思想や真実はどうでもよいことになっています.なぜなら,「愛こそがすべて」(訳注・原英文 “All you need is love”.英ロックバンド The Beatles の歌のタイトル) だからです.だが実際には,私たちはみな教理と愛の双方を絶対的に必要としているのです.

教理とは単なる常套句(じょうとうく)の羅列ではありません.私たちのような計り知れないほど貴重な価値のあるカトリックの信仰の賜物を神から与えられたカトリック信者たちは,現世の短い人生の後に来世での想像を絶するような永遠の至福か恐怖が待ち受けていることを知っています.そして,私たちカトリック信者はカトリック信仰の有無にかかわらず,それがあらゆる人間の宿命であることを知っています.洗礼を受けていない罪のない者の霊魂が古聖所(原英語 “Limbo”.キリストの死によるあがないの前に死んだ義人の霊魂がとどまっていたところ)に入るのが唯一の例外です.だとすれば、神が無慈悲でない限り ― 多くの哀れな霊魂が神に対する自らの反抗を正当化しようとするのは理にかなっています! ― (現世での死後に)天国を勝ち取り地獄に墜ちるのを何としても避けたいと願うすべての人々に対し,神はいつでも,そのために(彼らの霊魂にとって)必要な光と力とを与えて下さるのです.だが,カトリック信仰をもたない人の場合,その光や力はどのような形を取りうるでしょうか?

その答えを二人の非カトリック教徒に求めてみましょう.18世紀の英国の良識を代表する偉人サミュエル・ジョンソン博士は「ロンドンが嫌いな者は人生が嫌いなのだ」と言いました.これは言い換えれば,日常生活の細々(こまごま)した日課に埋もれ慌ただしく過ごしながら,人は日々人生に対する一般的な態度を構築していると言うことです.またレオ・トルストイ伯爵は大作「戦争と平和」の中で,ある登場人物に「人生を愛する者は神を愛す」と言わせています.言い換えれば,人間の人生に対する一般的態度は実際にはその人の神に対する態度を示すものだということです.もちろん,現代人の多くは,自分の人生に対する姿勢が「存在もしない」神と関係があることなど強く否定するでしょう.にもかかわらず,神はそういう人を,彼個人のみならず日常的に彼を取り巻くその他の彼の周囲の人たちまでも一緒に含めて,その双方の存在をともに支えておられる方なのです.そしてなおかつ,神は常に彼個人に対して,こうした彼の全人生に内在されかつ彼の全人生において万事を背後から支えておられる神御自身を(個人的に)愛するか嫌うかを彼自ら決める自由意思( “the free-will” )を,お与えになっておられるのです.かくして,共産主義者は無神論者になる宿命にあり,しかもレーニンはかつて「神はわが敵なり」と言っています.(訳注・原英文は “God is my personal enemy”.つまり,レーニンは〈神との一対一の個人的な関係において,自らの生命の源であるはずの〉神御自身を自ら憎み拒否したということになる.) そうした共産主義者たちは人生も神も愛しません.

では,人生や神に対する正しい態度とはどういうものでしょうか?モーゼの十戒の第一戒で神は,あらゆる知性,精神(感情),魂を尽くして神を愛せよ,と命じておられます.(訳注後記・1).だが,まだあまりよく知らない人をどうして愛することができるでしょうか?人生と神に対する正しい態度は,人生と神,あるいはそのいずれかがもつ善良さに多少なりとも信仰もしくは信頼を置けなければ生まれません.そういうわけで,四つの聖福音書において,無学な人々が奇蹟を願って私たちの主イエズス・キリストの下に来ると,主は奇跡をお許しになる際にしばしば彼らの心に「信仰」があるかどうかをお試しになったり,あるいは彼らが持つ信仰をお褒(ほ)めになり,その信仰に対して報いられます.ここでいう信仰とは何に対する信仰でしょうか?それは神への信仰です.だが神とはいったい誰なのでしょうか?

それは学識ある人々が教理の中で明確に説明すべき事柄です.この神の教理は時代の流れとともに洗練されるかもしれませんが,神を変えることができないのと同様,決して変えることのできないものです.その教理は私たちが,永遠に想像を絶するほどに幸福になりたいとか不幸になりたくないと願う限り,私たちの生命・人生に対する姿勢また神への姿勢を継続的に矯正してくれるものです.カトリック教理は真理です.神は(そのカトリック教理が示す)真理です.真理は不可欠なものなのです.(訳注後記・2).

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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(第4パラグラフの訳注・1)

モーゼの十戒の第一戒について
(バルバロ神父訳聖書から引用)

旧約聖書・第二法の書:第6章4-5節

イスラエルよ聞け,われらの神なる主こそ唯一の主である.心を尽くし,魂を尽くし,力を尽くして,神なる主を愛せよ.」

(注記・キリストの御復活以降の新約の時代においては,聖書における「イスラエル」という言葉は,ユダヤ民族に限らず,「キリストによって唯一の真の神を信じる世界のすべての人に対してあてはめられる.)

(注釈)

神への愛は(モーゼの)十戒(脱出の書・第20章6節)ですでに語られたけれども,第二法の書は律法五書の中でも特に神への愛を人間の働きの土台として扱っている.愛は神の恵みに対する人間の答えであり,神への畏れ(=恐れ)と敬いとおきての遵守をも含むものである.キリストは4節と5節(上に引用した部分)とレビの書の19章18節を新約の律法の第一のおきてとした.(①新約聖書・マルコ聖福音:第12章28-34節と②聖パウロによるローマ人への手紙:第13章8-10節を以下に引用).

(マルコ聖福音12,28-34)

『…イエズスのみごとな答えを聞いた一人の律法学士はそばに来て,「すべてのおきての中でどれが第一のものですか」とイエズスに尋(たず)ねた.イエズスは答えられた,「*¹第一のおきてはこれである,〈イスラエルよ聞け.われわれの主なる神は唯一の主である.すべての心,すべての霊,すべての知恵,すべての力をあげて,主なる神を愛せよ〉.また第二は,これである,*²〈隣人を自分と同じように愛せよ〉.これより重大なおきてはない」.すると律法学士は,「先生,〈神は唯一のもので他に神はない〉とは実に仰せのとおりです.〈すべての心,すべての知恵,すべての力をあげて神を愛し,また自分と同じように隣人を愛すること〉これはどんな燔祭(はんさい)にも,いけにえにもまさるものです」と言った.その答えを聞かれたイエズスは,「あなたは神の国から遠くない人だ」と言われた.』

(脚注)

*¹ 旧約聖書・第二法の書6:4-5.
*² 旧約聖書・レビの書19:18.


(ローマ人への手紙13,8-14)

『互いに,*¹愛を負う以外にはだれにも負い目をもつな.人を愛する者は律法を果すからである.「*²姦通するな,殺すな,盗むな,偽証(ぎしょう)するな,貪(むさぼ)るな」,その他のすべてのおきては,「隣人を自分と同じように愛せよ」ということばに要約される.愛は隣人を損なわぬ.したがって,愛は律法の完成である
時を知っているあなたたちは,ますますそうせねばならぬ.今は眠りから目覚める時である.いま私たちの救いは,私たちが信じはじめた時よりも近い.*³夜はふけて日が近づいた.だからやみに行われる業を捨てて,光のよろいをつけよう.昼のように慎んで行動しよう.酒盛り,酔い,淫乱,好色,争い,ねたみを行わず,主イエズス・キリストを着よ.よこしまな肉の欲を満たすために心を傾けることはするな.』

(注釈)

*¹ 隣人への愛の負債は,十分に支払きれない.

*² 旧約聖書・レビの書:19章18節参照.

*³ 「夜」は罪と死の支配下にある世をさす(新約聖書・コリント人への第一の手紙:7章26,29-31節).

*「日」はキリストの来臨のこと(新約聖書・聖パウロのコリント人への第一の手紙:7章29節,聖パウロのテサロニケ人への第一の手紙:4章15節).(注記:キリストはこの世の終わりの際に再びこの世(地上)に来臨される)

* * *

(第5パラグラフ最後の訳注・2)

① 詳解すると,「神とは真理」であり,その「真理」はカトリック教理〈=公教要理〉によって明確に説明される.この「真理」を抜きにして,「神への信仰」を持ち得ることはあり得ない.

② 真に神を信仰するためには,「愛こそがすべて」にいう「愛」のみでは足りない.「愛」が「真の愛(=神の愛)」たりうる所以・根拠としての「真理」を知り,かつその真理を自分の心に受け入れていることもまた前提条件として必要不可欠である.なぜなら,「神は愛」であると同時に「神は真理」だからである.

③したがって,かかる「真理」について説明する「神の(=カトリック)教理」は,人の霊魂が唯一の真の神への信仰により救われて永遠の天国に至るためには絶対になくてはならないものである.

④ 故に「教理は不可欠」であるとの結論に至ると思われる.原英文では “Catholic doctrine is truth. God is Truth. Truth is indispensable”.とある.)

2010年10月3日日曜日

職業 - どこから?

エレイソン・コメンツ 第168回 (2010年10月2日)

ある西欧「先進」国の主要都市にある二つの大学で,数十年ものあいだ人文科学系のさまざまな定時制,全日制の課程を修めた後,彼(私は単にロバートと呼ぶことにします)は,最近の「エレイソン・コメンツ」(EC158)で私が触れた現代の諸大学についての批評にかなり共鳴している自分に気付いたそうです.だが彼は,一歩も二歩も先を行く興味深い反対意見の持ち主でもあります.今回は,今日の大学システムについての彼の生々しい体験談から始めましょう.

いつ終わるか分からないように思えた学業を終え,ロバートは数年前,ようやく歴史学博士号を取得しました.だが,大学教授の職につく資格は認められない学位ということでした.彼が言うには,このことは政治的に正当な制度なのですが,同時にそれによって,彼の「あまりにも道義的に正しすぎる」考え方がうまく遠ざけられたのです.「(伝統的)カトリック原理主義者(integrist) は口を封じられ,民主主義の面目は保たれたというわけです.能なしの愚か者は威圧的な力の前に身を投げ出し,ジョージ・オーウェルの1984年の有名な小説に出てくるウィンストンのように,いとも簡単に押し潰(つぶ)されました.」

ロバートは次にように書いています,「私自身の体験から言えば,私は若者に大学へ行くのを勧めません.私の子供たちに対してはなおさらです.若者にはむしろある種の手仕事か上級の技術研修を受けることを選ばせます.それが,田舎かせいぜい小さな町で自分の生活のために働くには理想的な職業であり,現代の給料の奴隷にならずに済むからです.」もし自分の人生をもう一度やり直すことができたら,そういう選択をするだろう,と彼は言います.なぜなら,彼は一人のカトリック教を信奉する知識人としては,自分の活動は(神についての)証言をするだけに限られてきたように感じるからだというのです.

だが,ロバートには手仕事や上級技術研修を選ぶという解決法について大いに異議があるそうです.一言で言えば,技術者は哲学者よりも高収入が得られるでしょうが,上書き消去して書き換えるだけという性質の彼らの仕事 - オンかオフだけ,ゼロかワン(一(いち))だけ - は,宗教や政治についての人間的な,あまりにも人間的すぎる複雑な問題への関心を失わせることになるでしょう.昼間は技術者,夜は詩人となれれば理想的でしょうが,現実にはそのような両極端に分かれた生活を送るのは困難なので,普通はどちらかへの関心を失ってしまうものでしょう,とロバートは言います.

彼は,自分の住んでいる地域の聖ピオ十世会の学校内でも同じような葛藤があると言っています.理論的には,校内では人文科学系が最高位とされていますが,実際は,男子生徒や先生たちは求人数の多い理科学系を選ぶ傾向があります.そのため,卒業する青少年たちに公会議主義体制の教会や現代世界の諸問題の根深さを理解する能力が備わっていないようにロバートには映るそうです.彼の証言はこれで終わりです.

この問題は深刻です.例えば,聖ピオ十世会の学校では理科学への傾斜(けいしゃ)を強めるよう圧力がかかっていますが,将来の司祭たちはむしろ人文科学系学問においてうまく形成される必要があるのは間違いないところです.それは人々の霊魂が,切り取って消去し,一(いち)かゼロ,オンかオフで機能するものではないからです.それにしても,仮に職業が聖ピオ十世会自身の学校から生まれないとすれば,どこで生まれるでしょうか?物質万能の世界で,どうやって人々の霊魂や精神が守られるでしょうか?男の子たちの霊魂をどうやって司祭職に向かわせることができるでしょうか?私はこれまでに,多くの場合に決定的なのは、男の子たちの父親が自身の宗教をどれほど真剣に受け止めているかによることを見てきました.神が息子を通して父親にどれほど報いをお与えになる御方であられるかを知るために,旧約聖書のトビアの書を読んでみてください.この書は理解するのに長過ぎることも難し過ぎることもありません.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教